Snap Shot 25

横浜美術館には、もう一つ目的がありました。
あちこち探しても「品切中」になっていた、倉石信乃著『反写真論』が、横浜美術館のミュージアム・ショップなら入手できるのではないか?と思っていました。で、予想的中♪
99年10月の発行ですが、私がこの本を知ったのはつい最近ことです。
アマゾンやブックファーストのネットショップで、森山大道や西井一夫を検索してる際に、偶然遭遇しました。
倉石信乃氏は、今回の中平卓馬展の仕掛人で、横浜美術館の学芸員です。98年には、第4回重森弘淹写真評論賞を受賞している人です。
私は、学生時代の一時期、撮ることよりも写真論に興味を持っていました。
中平卓馬『なぜ植物図鑑か』を端緒に、ロラン・バルト、ロブ・グリエ、ル・クレジオ、ベンヤミン等々を知って、すっかりはまり込むことになります。
そして今、「まとも」な写真論や写真評論が少なくなっている中、期待するのは当然でしょう。西井一夫も、もういないし…。

かつて、理論に長けた中平卓馬は、論理的強制によって写真が撮れなくなっていきました。同じプロヴォークの多木浩二も同様だったと思います。それとは正反対に、論理ではなく生理としての写真を撮っていたのが、森山大道や荒木経惟でしょう。
正反対の存在であるからこそ、いまだに彼等は、ツルンでいたりするのでしょう。
論理は、屡々、直感的真理と対立します。論理構成を間違えると、否が応でも、誤った結論に立たざるを得ないことが起こりますが、だからといって、理論の価値も中平卓馬の価値も下るとは思いません。
道に迷ってしまった時、先を照らし出してくれるのが、理論だと思います。たとえそれが記憶の奥底に沈んでしまっていても、自我よりも深い部分で作用しているのだと思います。
『新たなる凝視』以降の中平卓馬の写真が持つ、突き抜けたような爽快感は、「植物図鑑」があったからこそ出てきたものに違いありません。

_2003.11.12