視的生活
-076-
十三

新世界

四天王寺
四天王寺
地下鉄

あっという間にもう9月。
夏前から続く、新型デジタルカメラのラッシュが、まだ続く。
ニコン、コニカミノルタ、ペンタックス、10月にかけてキャノンから2機種。
秒進分歩と言われるデジタル・テクノロジーは、たった一年前の製品をいとも簡単に超える性能を持つ。
写真においては、「フィルムの優勢」を唱えるベクトルは、まだまだ強いようだが、CDが登場した頃の「レコード盤擁護派」を思い出してしまった。
というのも、何かにつけて「新参者」のあら探し、弱点ばかりをほじくり返して、その良さを評価しようともしない「ベテラン」、或いは「マニア」達の底意地の悪さ、品格の低さ、である。
形式は内容を規定する、と同時に、内容は形式を規定する。
デジタルカメラを持った私が撮る写真は、勿論、当然、フィルムカメラを持った私が撮る写真とは違う。違うのが、当たり前。
そういう意味では、飯沢耕太郎が、「フォトグラフィー」と「デジグラフィー」を区別しようとする考え方は、正しい。
「デジグラフィー」は、まだ、発展途上のメディアだ。未だに、「写真」と一括りとしてでしか、語られることもない。
それは、かつて、絵画と写真を対立的に混同してきた歴史を思い出させる。
絵画と写真が、別々の道を辿ったように、「フォトグラフィー」と「デジグラフィー」もまた、優劣ではなく、異なる表現手段の一つひとつとして、刺激しあいながら、発展してほしいと思う。

あ〜、前後半で論旨がすり替わってしまった…。

とはいえ、EOS 1D Markll N の進化とフルサイズのEOS5Dが気になる。

_2005.9.03